戸塚宿を行く

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戸塚パルソ通信@メール 第69号

戸塚宿を行く

vol.030-1

源氏ゆかりの戸塚の2社白旗神社(1)

■源氏の紋章でもある、笹竜胆の神紋

■戸塚区には「白旗神社」が2社鎮座します。品濃町と平戸の2社ですが、同じ名前でありながら、かなり性格を異にする存在です。まずは品濃の白旗神社から取り上げてみましょう。

東戸塚駅からほど近い「品濃・白旗神社」

境内には近くの寺院「北天院」住職の手による第二次世界大戦の戦没者慰霊碑がありました。

急な参道を登らなくてもお参りできる「遥拝所」。

本殿

境内には不動明王像。かつての神仏習合時代の名残でしょうか。

境内社も険しい崖の上に鎮座しています。

■品濃の白旗神社は康元元年(西暦1256年)・鎌倉時代に創建された神社です。御祭神は源義経公。現在は天照大神と豊受姫命もあわせてお祀りされています。

■鎌倉幕府健在の時代に、「謀反人」である源義経が、鎌倉にほど近い戸塚の地で祭神として祀られるのは一見奇妙です。
しかし、非業の死を遂げた人物を「神様」として祀ることで、逆に味方になってもらうという考え方があり、平将門や菅原道真と同様、源義経も強力な力を与えてくれると、考えられたのかもしれません。

西暦1256年というと、その年にこそ大きな出来事は起こっていないものの、モンゴルがアジアを席巻し、ヨーロッパにまで攻め込んでいる時代。あまりにも巨大化したため、モンゴル帝国が分裂統治に入ってきています。
実際の元寇は約20年後の1274年ですが、その頃から、大陸のモンゴル帝国の脅威は聞こえてきており、戦の天才・義経の力を味方につけたかったのかもしれません。

その後は衰退してしまったようですが、戦国期の終わりになり、徳川氏が関東に入ると、旗本の新見氏が当地を治め、崇敬したことにより隆盛を誇ったということです。
近代になり、大正12年の関東大震災で倒壊しますが、「社殿が身代わりになってくれたおかげで氏子地域の被害が少なかった」と地域に感謝され、速やかに再興されます。
平成19年に不審火により焼失してしましますが、平成24年に再建されたものが、現在の社殿です。

神社の背後の山は白旗山公園になっています。

頂上からは周囲を一望できます。

山頂部分に建てられた富士講(富士山をお参りする)の記念碑。幕末・嘉永元年と刻まれています。

裏側に階段があったので降りてみようとすると。

もはや崖。白旗神社の御祭神、源義経といえば、崖を駆け下りた一ノ谷合戦での鵯越の逆落としですが、、、

貴重な緑・雑木林ですが、バリアフリーというわけにはいかないようです。