
戸塚パルソ通信@メール 第150号
戸塚宿を行く(歴史探訪)
vol072-01
戸塚の古道かまくら道(4)上道
戸塚を通る「かまくら道」のうち、上州と鎌倉を結ぶのが「上道」です。
■東海道の裏をとるような「上道」
上道は、戸塚区内では、飯田地区から発して、鉄砲宿まで続きます。
地理的に境川と東海道の間を走り、東海道の裏街道のような位置になります。東海道が、江戸方面で常陸・上総・武蔵などの大勢力を糾合する関係上、上州方面の武士まで合流させずに兵の流れを良くする目的が感じられます。
”いざ鎌倉”の時に、できるだけ早急に兵力を集めることを狙ったと思われますが、それが皮肉にも鎌倉幕府に最後の一撃を加えることになりました。
後醍醐天皇の討幕の綸旨に呼応した新田義貞と、それに呼応する連合軍が、この道を通って、鎌倉に殺到したのです。
※新田義貞図(月岡芳年・部分)
上道沿いには多くの名所旧跡が分布します。その様子を見てみましょう
■境川遊水池公園
現在は和泉川・境川の氾濫を食い止める遊水池。鎌倉時代には広大な湿地が広がっていたはずです。
■天王森泉公園
現在でも深い森と自然を生かした公園です。当時の鬱蒼とした様子を考えてみます。
■俣野神社と観音堂
源平合戦の序盤で活躍した俣野一族の本拠地。敗者にも関わらず近世まで勢力を保ち続けた秘密はなんなのでしょうか。
■ウイトリッヒの森
昭和初期にスイス人技師ウイトリッヒが、失われてゆく戸塚の自然を保全するために所持した広大な森。彼の死後、横浜市に遺贈されました。
■俣野別邸庭園
住友財閥の遺産。林業で財を成した住友家は、河川物流の重要性を熟知していたはず。この地が別邸に選ばれたのは偶然ではないかもしれません。
■かまくら道 上道