戸塚宿を行く(歴史探訪)

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戸塚パルソ通信@メール 第164号

戸塚宿を行く(歴史探訪)

vol084

戸塚宿とともに歩んだ禅宗寺院恵照山 海藏院

臨済宗・恵照山 海藏院

所在地:〒244-0003 神奈川県横浜市戸塚区戸塚町4213
宗派…臨済宗円覚寺派(禅宗)
創建…文和2年(1353年)
本尊…釈迦牟尼如来(お釈迦さま)
主な仏像等・聖観音立像・十一面観音・如意輪観音・もちあがり地蔵・龍の彫刻(山門・伝、左甚五郎作)・志行顕彰歌碑・木食観正碑・六地蔵
文化財…開山 方外宏遠像

海藏院は、鎌倉の円覚寺の末寺で、1353年(1363年説もあり)開創の禅寺です。
開山は、円覚寺の塔頭黄梅院の方外宏遠。黄梅院は足利尊氏の師としても知られる夢窓疎石の菩提を弔う塔所です。南北朝の初期の開山ですが、年号が文和となっているため、北朝に属していたことがわかります。

南北朝と室町時代を通して、どのような動向だったのかはっきりしません。
次に海藏院の記録が現れるのは戦国末期。16世紀終盤に、戸塚地域の実力者であった澤邊信友が黄梅院の雲岫周泰を招いて海藏院を復興したと言われます。
その後、澤邊家が戸塚宿の開設に大きな役割を果たすと同時に、澤邊信友の息子である古帆周信が海藏院の住職として活躍。円覚寺でも改革を促進する実力者となります。
古帆周信は、東慶寺の天秀尼の師としても知られます。天秀尼は、豊臣秀頼の息女でした。徳川家による監視なのか、徳川家からの保護なのか、いずれにしても、大きな力を持っていたと考えられます。

江戸時代では、澤邊本陣の後背にあって、戸塚宿の中心的な場所となります。
絵図には観音堂など伽藍の様子が描かれています。鐘楼も戸塚を代表する存在として知られ、夕べの鐘の音は、戸塚十勝の一つに数えられました。
明治維新を迎えると、海藏院の境内には郡役所が置かれ、また学制の執行にともなって寺子屋が戸塚小学校になります。行政や教育の中心として機能していたのです。

現在の海藏院は、戸塚宿七福神めぐりの布袋尊として知られ、正月には参拝客で賑わいます。
新しい埋葬形態である樹木葬に地域でいち早く取り組み、また、「レンタル墓石」は、NHKの番組でも取り上げられるなど、常に新しいことに挑戦しています。

■海藏院