戸塚宿を行く(人物伝)

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戸塚パルソ通信@メール 第158号

戸塚宿を行く(人物伝)

vol077

【大橋とかまくらみちの謎】浮世絵師・歌川広重

・歌川広重肖像(3代豊国筆、安政5年)

■生没年:寛政9年〈1797年〉生 - 安政5年9月6日〈1858年10月12日〉没
■本名:安藤重右衛門

■歌川広重

江戸の火消同心の長男として生まれる。文化8年〈1811年〉ころ、歌川豊広に弟子入りし、浮世絵の道に入る。役者絵や美人画を描く。
やがて風景画で頭角を表し、天保3年〈1832年〉には火消同心を隠居、絵師に専念する。同じ頃、公用で東海道を旅し、その時に東海道五十三次を構想したとする説があるが、疑問も投げかけられている。
天保5年〈1834年〉ころ、保永堂を版元とする「東海道五拾三次之内」を出版し、大ブレイクを果たす。これに端を発して、東海道五十三次ものは、多くの版元・浮世絵師により、20を超える出版が行われる大人気シリーズとなる。特に広重の五十三次は板木が擦り切れ、再版するほどで、広重の名声を不動のものとする。

■「東海道五拾三次之内 戸塚別道」(初版)
■「東海道五拾三次之内 戸塚別道」(再版)

■「かまくら道」と「かまくらみち」の謎

広重の浮世絵の大ブレイクにより、一躍、戸塚宿の象徴となったのが大橋。
そのたもとに描かれている道標の文字が、一つの謎を投げかけている。

・浮世絵の「かまくら道」

・移築されたと言われる妙秀寺の道標の「かまくらみち」(みち の字を強調)

「道・みち」が、浮世絵は漢字で、実物はひらがなになっている。
これも根拠の一つとして、「歌川広重は東海道を旅せず、伝聞等をもとに空想で五十三次を描いた」という説が唱えられている。
確実に広重が東海道を旅した記録は天保8年〈1837年〉だが、それ以前に旅をしていない証拠にはならず、真相は定かではない。
幕府の命令による宿場の調査記録ならば、文字が漢字かひらがなかは大きな問題であるが、絵師個人の取材旅行であれば、そこまでの厳密さは要求されないはずで、芸術家としての構図の問題だとして、細部にこだわる必要はないとする見方もある。

■【安藤広重】とはなんだったのか

「東海道五十三次の広重」といえば、【安藤広重】と表記された時期がある。

例(永谷園公式サイトより)

「安藤」は本名を表し、「広重」は筆名を表している。
本名と筆名を混交させるのは、例えば美空ひばりを「加藤ひばり」と表記するようなもので、適当とは言い難い。また、歌川広重が「安藤広重」の名義で作品を発表した事実もない。
似たように、曲亭馬琴も「滝沢馬琴」と表記されたことがある。明治期に国民皆姓を進めるにあたって、本名と筆名が両方判明している人物は、「苗字が本名、名前が筆名」という奇妙な表記が流行した時期があり、そのためだとする説がある。
歌川広重が「安藤広重」として広まったのも、その一環の可能性がある。

■大橋(戸塚)