戸塚パルソ通信@メール 第157号
戸塚宿を行く(人物伝)
vol075
「戸塚の人物伝」文字通りの【戸塚の父】冨属彦命
冨属彦命
※イメージ写真
■生没年:不詳(5世紀ごろ)
■相武国造・相模国造
冨属彦命は、相武国造に任じられた弟武彦命二世の孫とされる。国造(こくぞう・くにのみやつこ)を継承していたかどうかは定かではないが、その名が今に残ることから、相模東部の有力者として君臨していたことは推測できる。
相武国造の相武は「そうぶ」ではなく「さがむ(さがみ)」であり相模と同意と考えられる。日本書紀等には、相模国造と武蔵国造の抗争が記述されており、富属彦命は西側=大和朝廷側の最前線を守っていたのではないだろうか。
蝦夷勢力と大和朝廷の激突である前九年の役の際、冨属彦命は、誉田別命とともに源義家の夢枕に立ち、その神威から冨塚八幡宮の御祭神へと勧請される。
当時、冨属彦命が、東=蝦夷との戦いで活躍したという伝承があり、これにつながっていると考えても荒唐無稽ではないだろう。
相武の中心は寒川神社近隣であったと推定され、また、平塚には相武国造神社が存在する。
冨塚八幡宮本殿
■名前の読み方
富属彦命は、ひろく「とつぎひこのみこと」として知られるが、一部では「とみやすひこのみこと」とするものがある。
現代の読み方としては「属」を「つぐ・つぎ」と読むよりも「やす」と読む方が優勢であるが、「とつか・とづか」の語源とする場合、「やす」からの転訛の過程が複雑であるように思う。
■冨塚八幡宮












